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真我瞑想 行動


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「【実践編】 行動」です。

前回までで解説した真実の認識に基づいた行動について説明したいと思います。

真我瞑想は、真実の認識と、それに基づく行動が一対となって、はじめてその真価を発揮します。行動なしに、ただ毎日座って瞑想に励んでも、幸福は得られないのです。

西洋哲学史上最古の本格的な倫理学書である『ニコマコス倫理学』という本があります。この本において、著者のアリストテレスは、学問の目的を知識ではなく実践であると説明しています。つまり、獲得した知識に基づいて、実践することです。

アリストテレスは、知識を活用して、善き実践をなすことにより人間は真の幸福に至ることができると考えたのです。そして、この考え方がその後の倫理学において支配的な一つの枠組みとなりました。

真我瞑想においても、真実の認識に基づいて適切な行動をなすことで幸福を得るという構造があり、その意味で基本的な枠組みを伝統的な倫理学と共有していると言えます。

ただし、真我瞑想における真実の認識は、私たちが知識と呼ぶものの獲得に留まるものではありません。それは、真実を納得し腑に落ちるということであり、体感をともなうものです。

もちろん真実の体感がなくても、行動を変えることができます。しかし、それには、一つの欠点と一つの危険があります。

欠点は続きにくいということです。真実の体感なしに真実に沿った行動をしようとするときは、それは百パーセント意志の力によります。

しかし、意志の力には限界があります。というのは、こういう行動をすればよいのだと頭で分かって、意志でやろうとしても、それとは別の思いが湧き上がってきて邪魔するからです。明るく前向きに積極的に愛と感謝とともに素直に生きることができれば幸せになれると、頭では分かっていても、後ろ向きの心が出てきてしまいます。

危険は的外れの方向に進んでしまうという可能性です。実感がともなわない頭だけの理解では、自分の行動が合っているのかどうか正確には判断がつかないのです。むしろ、まるで見当はずれになりかねません。

なぜなら、そのときに基準になっているのは、こういう行動が正しい、望ましいという善の観念だからです。
 一口に行動と言っても様々なものがあります。宗教の教義の中には、戒律として衣食住の全般に渡って、事細かに取り決めているものもあります。

 仏教では、身(しん)口(く)意(い)と言います。身は体を動かす行動、口は言葉を使うこと、意は心の動きです。

人間の行為はこの三種類であると説明し、まとめて三業と呼びます。業とは、行為という意味です。

私が、ここで行動として念頭においているのは、日々の人間関係における言葉の使い方、行動の仕方です。

私たちにとって悩みや苦しみの原因となっているのは、ほとんどの場合、人間関係のトラブルです。経済的な問題も、広い意味での人間関係の問題です。病気の多くも、人間関係にまつわる心の悩みやストレスが原因となって発生しています。

 ですから、悩みや苦しみをなくすには、人間関係を良好にすればよく、そのためには、人間関係における言動を改善すればよいのです。


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2012-12-16(Sun)
 
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