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真我瞑想「在る」神の生命5


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「在る」神の生命5」です。

カール・ケレーニイという古典学者によると、古代ギリシアにおいては生命を表していた言葉が二種類あったそうです(岡田素之訳『ディオニューソス』白水社、一九九三年、pp.15-20)。

ひとつはビオス、もうひとつはゾーエーです。

ビオスは、個体的生命を表します。例えば、人間の限定された生、ある人の人生は、ビオスと表現されます。それは、まとまりのある特徴を持った固有の生なのです。

それに対して、ゾーエーは、全体的生命を表します。それは、生命の空間的な全体であると同時に、時間的な前提でもあります。つまり、無限の生命であり、永遠の生命でもあるということです。それは、余分な特徴を持たない、ひとつながりの生です。

古代ギリシア人は個体の生命を超えた全体としての生命、個体の生命を支える生命そのものに対する感受性を持ち、それに対して名前を与えたということです。

ゾーエーは、ちょうど、いくつもの個体が寄り集まって一つの大きな生命を形成している原生動物、ボルボックスのような生命です。

ただし、無限の生、ゾーエーは、有限の生、ビオスの集合ではなく、個々のビオスを支える基盤です。それをケレーニイは「ゾーエーはビオスの一つひとつが真珠のように通して並べられる糸であり、この糸はビオスとちがって、ひたすら無限に連続するものだと考えられる」と真珠とそれを連ねる糸に喩えて表現しています。

古代ギリシアでは、そのような二つの生の区別が、日常的な言葉の中で行われていたのです。

この個体的で有限の生命を支える、全体的で無限の生命があるという直観は、人類の諸思想において様々なさまざまな形であらわれています。

例えば生命と神性を結びつけて、プロティノス
汎神論 スピノザ
神即自然
非人格的神
ドイツロマン主義

生物において、生命力が働いていると考える立場である生気論

 フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンは、様々な生物種の進化の原動力として生命エネルギー、エラン・ヴィタールの存在を主張しました。一つの巨大な生命が、それぞれの個体を突き動かしていると考えたのです。

近年では、ラブロックとマーグリスが、ガイア仮説を唱え、生態系全体の恒常性に注目し、地球は一つの生命体であると表現しました。
 
生態学的自然観
ディープエコロジー
アッシジのフランチェスコ

山川草木悉有仏性
草木国土悉皆成仏

動物だけでなく植物も成仏することができるということです。

自然への謙虚
 物質主義ではない
 人間精神の可能性が物質的に規定されることを主張するものではない

個別的集団の解体
一切衆生 
すべてのものには生命がある。
東洋的
道元


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2012-12-13(Thu)
 
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