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真我瞑想「時間について」


精神世界を探求しているけれど
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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「時間について」」です。

「真我瞑想」には四つの段階がありました。

はじめのうちは、第一段階から第四段階まで、順に行っていきます。

先ほど申し上げたように、第一段階から第三段階までは、それぞれ十分間ほど、そして、第四段階は十五分から二十分間行います。料理用のタイマーなどで時間を計って行うとよいと思います。

 慣れて来たら、第四段階のみを行うようにします。

慣れれば短時間で、深い瞑想状態に入ることができるようになります。周囲が騒がしくても気にならないどころか、それを利用してさらに深く入れるようになります。

姿勢については、立ったままでも瞑想することができるようになります。

 たとえば、朝の通勤途中、満員電車の中で、吊革につかまりながら瞑想されている方もいらっしゃいます。



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精神世界を探求しているけれど現実が思うようにいかないという方へ

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2012-12-30(Sun)
 

真我瞑想のやりかた~4つの段階(第1、2段階)


精神世界を探求しているけれど
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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想のやりかた~4つの段階(第1、2段階)」です。

さて、「真我瞑想」は以下で説明する四つの段階からなります。各段階の間に休憩を入れてもかまいませんし、連続で行っても結構です。

第一段階では、ただじっと座っています。何か考えや思いが浮かんでも、そのままにしておきます。

ただ、空想、妄想を追いかけてはいけません。
そうではなく、お湯からゆげが出て行くように、何か浮かんでも放置するということです。

頭上から太陽がさんさんと降り注ぎ、あなたから白いゆげが立ち上っていくような感じです。
これを十分間ほど行います。

 第二段階では、あなた自身の体に心の目を向けていきます。

まずは、頭を意識します。次におでこ、目、鼻、口、そして首、胸と降りていき、足先までいったら、今度は頭まで、戻っていきます。

体の部分、一つひとつに感覚を尋ねるように、心の目によって全身を隈なく見ていくのです。
たとえば、頭であれば、今どのような状態であるか。

重い、痛いといった負の感覚、逆に気持ちがいい、さわやかといった正の感覚を確かめるように意識を向けていきます。これもまた、十分間ほど行います。


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2012-12-29(Sat)
 

【実践編】 真実の認識(瞑想の方法)


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「第二部【実践編】 第一章 真実の認識(瞑想の方法)」です。

ここでは、瞑想をする方法について解説します。

 まず、姿勢からです。

基本的には座って行います。あぐらや正座で床に座ります。下にクッションなどを敷いてもいいでしょう。足の悪い方は、椅子に腰掛けて行ってもかまいません。

そして、リラックスしてください。ただし、背筋は真っ直ぐに伸ばします。背中を曲げると逆に体に負荷がかかるからです。頭は正面に向け、あごを軽く引いて下さい。手はひざの上に置きます。手の向きは自由です。

目は軽く閉じます。ちょうど、窓にカーテンをすっと下ろすように、まぶたを下ろします。口の力を抜きます。口には、意外と力が入っているものです。

呼吸は意識しません。自然に呼吸して下さい。通常人間が意識的にコントロールできる内臓は肺だけです。つまり、肺だけが呼吸によってコントロールできるわけです。世にあるさまざまな瞑想法では呼吸のコントロールを行うことが多いですが、「真我瞑想」においては、呼吸は自然に任せます。呼吸を意識すると体がどうしても強張ります。瞑想をはじめて、心が整えば、自然に呼吸も無理のない理想的なものとなるのです。


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精神世界を探求しているけれど現実が思うようにいかないという方へ

2012-12-28(Fri)
 

自灯明・法灯明とは?


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「自灯明・法灯明とは」です。

自灯明・法灯明とは、「〈自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理(法)を灯明とし、真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ〉という教え」(中村元他編『仏教事典』岩波書店、1989年)です。


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2012-12-17(Mon)
 

真我瞑想 行動


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「【実践編】 行動」です。

前回までで解説した真実の認識に基づいた行動について説明したいと思います。

真我瞑想は、真実の認識と、それに基づく行動が一対となって、はじめてその真価を発揮します。行動なしに、ただ毎日座って瞑想に励んでも、幸福は得られないのです。

西洋哲学史上最古の本格的な倫理学書である『ニコマコス倫理学』という本があります。この本において、著者のアリストテレスは、学問の目的を知識ではなく実践であると説明しています。つまり、獲得した知識に基づいて、実践することです。

アリストテレスは、知識を活用して、善き実践をなすことにより人間は真の幸福に至ることができると考えたのです。そして、この考え方がその後の倫理学において支配的な一つの枠組みとなりました。

真我瞑想においても、真実の認識に基づいて適切な行動をなすことで幸福を得るという構造があり、その意味で基本的な枠組みを伝統的な倫理学と共有していると言えます。

ただし、真我瞑想における真実の認識は、私たちが知識と呼ぶものの獲得に留まるものではありません。それは、真実を納得し腑に落ちるということであり、体感をともなうものです。

もちろん真実の体感がなくても、行動を変えることができます。しかし、それには、一つの欠点と一つの危険があります。

欠点は続きにくいということです。真実の体感なしに真実に沿った行動をしようとするときは、それは百パーセント意志の力によります。

しかし、意志の力には限界があります。というのは、こういう行動をすればよいのだと頭で分かって、意志でやろうとしても、それとは別の思いが湧き上がってきて邪魔するからです。明るく前向きに積極的に愛と感謝とともに素直に生きることができれば幸せになれると、頭では分かっていても、後ろ向きの心が出てきてしまいます。

危険は的外れの方向に進んでしまうという可能性です。実感がともなわない頭だけの理解では、自分の行動が合っているのかどうか正確には判断がつかないのです。むしろ、まるで見当はずれになりかねません。

なぜなら、そのときに基準になっているのは、こういう行動が正しい、望ましいという善の観念だからです。
 一口に行動と言っても様々なものがあります。宗教の教義の中には、戒律として衣食住の全般に渡って、事細かに取り決めているものもあります。

 仏教では、身(しん)口(く)意(い)と言います。身は体を動かす行動、口は言葉を使うこと、意は心の動きです。

人間の行為はこの三種類であると説明し、まとめて三業と呼びます。業とは、行為という意味です。

私が、ここで行動として念頭においているのは、日々の人間関係における言葉の使い方、行動の仕方です。

私たちにとって悩みや苦しみの原因となっているのは、ほとんどの場合、人間関係のトラブルです。経済的な問題も、広い意味での人間関係の問題です。病気の多くも、人間関係にまつわる心の悩みやストレスが原因となって発生しています。

 ですから、悩みや苦しみをなくすには、人間関係を良好にすればよく、そのためには、人間関係における言動を改善すればよいのです。


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2012-12-16(Sun)
 

真我瞑想「在る」真我2


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「在る」真我2」です。

真我をダイヤモンドとすれば、ダイヤモンドだけが存在します。その他のものは存在しません。ダイヤモンドのイミテーションがあったとしても、それは幻です。

さらに言えば、ダイヤモンドが存在すると考えている思いも存在しません。つまり、真我だけがあるという認識は、真我そのものではありません。ですからそれも幻なのです。

 さまざまな思いは幻想です。真実に目覚めるとは、思いの世界ではありません。

ダイヤモンドだと思っているのと、ダイヤモンドとは違うのです。ダイヤモンドにはダイヤモンドだという思いや、思いをいたす自分は含まれないのです。

 何かの思いや思う自分は幻です。ただ真我のみが存在します。

 本当のあなたは何かを思うあなたではなく、真我なのです。

 これは非常に重要な点です。

 それは、何より実践に関わる部分だからです。

 自分が真我であると思うあなたを本当のあなただと思えば、あなたは何も変わることができません。

 真我が本当のあなたであると思えば、あなたやあなたの周囲がどんどん変わってきます。

真我瞑想をとおしてその真実に目覚めれば、あなたは変わります。


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2012-12-15(Sat)
 

真我瞑想「在る」真我


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「在る」真我」です。

Ⅲ真我

これまで紹介してきた愛の光、神の生命は実は同じものです。同じ一つのものを二通りに言い換えた表現です。その同じ一つのものとは真我です。

真我とは本当の自分のことです。これまで、「無い」という真実、そして「愛の光」「神の生命」という真実を見てきました。つまり、目の前の様々な現象は「無い」、そして「愛の光」「神の生命」だけがあるということです。

「愛の光」「神の生命」とは真我のことです。ですから、この世界に真我以外のものはないのです。本当の自分以外には何も存在しない。

旧約聖書の「出エジプト記」に、神が「私はあるというところのものである」(cf.Good news Bible: Today's English version, American Bible Society, 1976)とモーゼに告げる場面があります。この箇所は「私は有って有るものである」とも意訳されます。

これは絶対的に存在するものとしての神を表現している言葉としても解釈できるかもしれません。


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2012-12-14(Fri)
 

真我瞑想「在る」神の生命5


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「在る」神の生命5」です。

カール・ケレーニイという古典学者によると、古代ギリシアにおいては生命を表していた言葉が二種類あったそうです(岡田素之訳『ディオニューソス』白水社、一九九三年、pp.15-20)。

ひとつはビオス、もうひとつはゾーエーです。

ビオスは、個体的生命を表します。例えば、人間の限定された生、ある人の人生は、ビオスと表現されます。それは、まとまりのある特徴を持った固有の生なのです。

それに対して、ゾーエーは、全体的生命を表します。それは、生命の空間的な全体であると同時に、時間的な前提でもあります。つまり、無限の生命であり、永遠の生命でもあるということです。それは、余分な特徴を持たない、ひとつながりの生です。

古代ギリシア人は個体の生命を超えた全体としての生命、個体の生命を支える生命そのものに対する感受性を持ち、それに対して名前を与えたということです。

ゾーエーは、ちょうど、いくつもの個体が寄り集まって一つの大きな生命を形成している原生動物、ボルボックスのような生命です。

ただし、無限の生、ゾーエーは、有限の生、ビオスの集合ではなく、個々のビオスを支える基盤です。それをケレーニイは「ゾーエーはビオスの一つひとつが真珠のように通して並べられる糸であり、この糸はビオスとちがって、ひたすら無限に連続するものだと考えられる」と真珠とそれを連ねる糸に喩えて表現しています。

古代ギリシアでは、そのような二つの生の区別が、日常的な言葉の中で行われていたのです。

この個体的で有限の生命を支える、全体的で無限の生命があるという直観は、人類の諸思想において様々なさまざまな形であらわれています。

例えば生命と神性を結びつけて、プロティノス
汎神論 スピノザ
神即自然
非人格的神
ドイツロマン主義

生物において、生命力が働いていると考える立場である生気論

 フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンは、様々な生物種の進化の原動力として生命エネルギー、エラン・ヴィタールの存在を主張しました。一つの巨大な生命が、それぞれの個体を突き動かしていると考えたのです。

近年では、ラブロックとマーグリスが、ガイア仮説を唱え、生態系全体の恒常性に注目し、地球は一つの生命体であると表現しました。
 
生態学的自然観
ディープエコロジー
アッシジのフランチェスコ

山川草木悉有仏性
草木国土悉皆成仏

動物だけでなく植物も成仏することができるということです。

自然への謙虚
 物質主義ではない
 人間精神の可能性が物質的に規定されることを主張するものではない

個別的集団の解体
一切衆生 
すべてのものには生命がある。
東洋的
道元


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2012-12-13(Thu)
 

真我瞑想「在る」神の生命4


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「在る」神の生命4」です。

パスカルは「人間は偉大と悲惨の中間者である」

 宇宙全体から自分自身を捉えるというとき、二つの軸を考えることができます。時間軸と空間軸です。

 時間軸では、宇宙の歴史を考えます。約四十六億年前に太陽と地球が生まれ、約四十億年前に生命が誕生しました。そして、生命が、様々な形に進化を遂げてきました。

人類の直接的な祖先と言えるアウストラロピテクスが誕生したのが約四百万年前、現生人類が誕生したのは、約十五万年前です。

 さらに、文明の成立が五千年前で古代、中世、近代を経て現代に至っています。

 この長大な歴史の中に対して、一人の人間の人生は非常に短いといえます。平均して約八十年のあなたの人生は、四十六億歳の地球の約五千七百五十万分の一にすぎません。あなたの人生を一センチメートルの長さとすれば、地球の歴史は五百七十五キロ、東京―大阪間の距離になります。

では、宇宙の歴史にあなたの人生を位置づけたとき、

カール・ケレーニイという古典学者によると、古代ギリシアにおいては生命を表していた言葉が二種類あったそうです(岡田素之訳『ディオニューソス』白水社、一九九三年、pp.15-20)。

ひとつはビオス、もうひとつはゾーエーです。

明日は、それについてお伝えいたします。


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2012-12-12(Wed)
 

真我瞑想「在る」神の生命3


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本日は、「真我瞑想「在る」神の生命3」です。

フランスの哲学者、ジャン・ポール・サルトルは「実存は本質に先行する」という有名な言葉を残しています。この言葉は、人生に予め与えられた意味などなく、それぞれが自分で自分の人生の意味を作り出すということを含意しています。

この考え方は非常に魅力的です。というのは、これが人生に対して固定的な意味を付与することを強く戒めるものであり、私たちを生の無限の可能性に対して開くものだからです。あなたにはあなた自身の生き方を自ら選び取る自由があります。そして、あなた自身すら、あなたの生の意味を固定化すべきではないのです。

 しかし、どのような生き方を選んでも幸福な人生を送れるということはありません。幸福になる生き方もあれば、不幸になる生き方もあるわけです。

 そして、どのような生き方をすれば幸福になるのか、それを決めるのは人間ではありません。宇宙に働いている法則です。

 その宇宙の法則によって決められたあなたの本質があります。ここでの本質とは、私たちが、直接的に知ることができるような限定された内容を持ったものではありません。

一言で言えばあなたの本質は無限です。そして、無限は人間には必ずしも理解できません。


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2012-12-11(Tue)
 

真我瞑想「在る」神の生命2


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「在る」神の生命2」です。

 19世紀末のフランスの天文学者、デュボア・レイモンは、その著書「宇宙の七つの謎」のなかで、「人間とは何か、どこから来てどこへ行くのか、金色に輝く星のかなたにはだれが住むのか」という問いを発しております。

この本はよく読まれたようで、ポール・ゴーギャンも読んだのでしょう、彼はタヒチの風物を題材にして大作「われわれは何処から来たのか、われわれは何か、われわれはどこへ行くのか」を描きました。カール・ヒルティは、「これは疑問のなかの疑問である。だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答を求めようとする」、そして、「たいていの人は今日、この答えを得ないまま、この世を去るのである」とその著書「幸福論」のなかに書いています。



 この問いにいかに答えるかによって、あなたの人生のあり方が規定されるといっても過言ではありません。

 そして、この問いに答えるに当たって重要なのが、あなたの人生をとらえる視点の位置です。

 たとえば、私は今、東京都新宿区二丁目に位置するビルの一室にいます。

もし私が人に電話やメールで「あなたは今どこにいますか?」と質問されたとすれば、幾通りもの答えが想定されます。

「新宿二丁目にいます」という答えがありますし、「新宿区内にいます」「都内にいます」「日本にいます」などのような答えもあります。場合によっては「太陽系の地球にいます」という答えもあるでしょう。

 これらの答えは、すべて異なった視点から判断した結果出てきたものです。そして、後に述べた答えほどより高い視点からの答えになっています。

より高い視点に立ったとき、より全体的な答えが得られます。全体的な答えほど大きな誤りは少なくなります。細部を熟知しているよりも、大づかみに全体を把握しているほうが、判断を間違うことがありません。
特に人生に関わる重大な決断においては、全体的な視点に立つ必要があります。

「自分は何者なのか」「自分は人生において何をなすべきなのか」というような問いに対しては、究極的な全体的視点から答えるのがベストです。

 全体的な視点とは、宇宙全体の視点です。宇宙の視点から自分自身を捉えるということです。宇宙の視点などと言うとあまりに突飛に聞こえるかもしれません。しかし、宇宙の視点こそ、厳密な意味での真実を見極めることのできる唯一の視点なのです。

 宇宙の視点から自分自身を捉えたとき、どのように生きるべきだという答えが出てくるのでしょうか。



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2012-12-10(Mon)
 

真我瞑想「在る」神の生命


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本日は、「真我瞑想「在る」神の生命」です。

Ⅱ神の生命

 前回まででは、有限の愛から無限の愛へと至る道をたどりました。有限の愛は「無い」、そして無限の愛としての「愛の光」が「在る」のでした。

 これからは、今度は、生命という視点から、「在る」という真実へと向かおうと思います。ここでの道は、有限の生命から無限の生命への道です。

 有限の生命は「無い」、そして無限の生命としての「神の生命」が「在る」のです。

 フランスの画家、ポール・ゴーギャンは、晩年に『我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか』と題された大作を残しました。この題において示された問いは、自分を含めた人類に投げかけられた根源的な問いです。

明日から詳しくお伝えいたします。
お楽しみに!

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2012-12-09(Sun)
 

真我瞑想「在る」愛の光~無限の愛2


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本日は、「真我瞑想「在る」愛の光~無限の愛2」です。

無限の愛は、無差別の愛です。そして無条件の愛です。

イエス・キリストは次のように述べています。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるからである」(マタイ5・44-5)

 イエスは、敵も愛の対象として

無限の愛は、光です。それも、世界全体を遍く照らす光です。

先ほどのイエスの言葉においても、太陽の例が用いられていました。

仏教においても、阿弥陀仏の阿弥陀が無限の光(無量光)を意味するように、無限の愛は光として表現されてきました。

闇は光によって消えます。それと同様に、無限の愛は私たちの苦悩を完全に消し去ることができるのです。


パウロは次のように述べます。

「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」(コリント13・1-3)


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2012-12-08(Sat)
 

真我瞑想「在る」愛の光~無限の愛


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本日は、「真我瞑想「在る」愛の光~無限の愛」です。

このように愛は有限で、それゆえ私たちは悲しみ苦しむことになります。しかし、あらゆる先入見を取り除いた透明な目で、素直な心で、目の前の現実に向かうとき、一つの真実がそこにあらわれます。

 その真実とは、愛は無限であり、あらゆる存在は無限の愛であるということです。

 つまり、有限だと思っていた愛が、実は無限なのです。

 この真実の認識は、次のような過程を経て得られます。

 愛が有限の私たちの現実が出発地点です。目の前には、愛が儚くも生まれては消えています。

しかし、その有限の愛は、実は幻想です。一時的にせよ目の前にあると思っている愛は幻なのです。現在の愛だけではありません。過去の愛も未来の愛も同じです。

愛は実は無いのです。

この無いという真実を確かめたとき、圧倒的な存在感を持って無限の愛があらわれます。

有限の愛という幻想が消えたとき、すでに存在していた無限の愛が出てくるのです。

「無い」という無の確認をとおして、有限の愛から無限の愛へといたる。ここに、「無い」「愛の光」という真我瞑想の基本的な構造があります。


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2012-12-07(Fri)
 

真我瞑想「在る」愛の光~有限の愛2


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本日は、「真我瞑想「在る」愛の光~有限の愛2」です。


有限の愛
無常
恋愛の儚さ
憎しみ
独占愛
奪う愛
執着愛

仏教において煩悩の筆頭に上げられるのが、貪(とん)すなわち何かに執着し貪欲であることです。貪(とん)は、貪愛とも呼ばれ、いわば執着愛です。


形あるものを求める
無常なものに永遠を求める
情愛
エゴイズム
愛の対象
家族
友人
恋人
郷土・祖国
  物
  金
  同情
条件付の愛
キリストの愛
母性愛
父性愛
有限者に対する有限の愛
無限者に対する有限の愛
無限の愛


ソクラテスの演説 - ソクラテスは自分の説ではなく、マンネンティア出身の婦人ディオティマに聞いた説として、愛の教説を語る。

愛(エロース)とは欠乏と富裕から生まれ、その両方の性質を備えている。ゆえに不死のものではないが、神的な性質を備え、不死を欲求する。すなわち愛は自身の存在を永遠なものにしようとする欲求である。

これは自らに似たものに自らを刻印し、再生産することによって行われる。このような生産的な性質をもつ愛には幾つかの段階があり、生物的な再生産から、他者への教育による再生産へと向かう。

愛は真によいものである知(ソピアー)に向かうものであるから、愛知者(ピロソポス)である。愛がもとめるべきもっとも美しいものは、永遠なる美のイデアであり、美のイデアを求めることが最も優れている。美の大海に出たものは、イデアを見、驚異に満たされる。これを求めることこそがもっとも高次の愛である。(以上、ディオティマの説)



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2012-12-06(Thu)
 

真我瞑想「在る」愛の光~有限の愛


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本日は、「真我瞑想「在る」愛の光~有限の愛」です。

1有限の愛

 私たちは常に愛の不足に悩みます。生活の多くのエネルギーを愛の獲得に注ぎこんでいるにもかかわらず、充足されず絶望する。この繰り返しが人生であるといっても過言ではありません。

 こうした愛の不足による私たちの苦しみは、すべて愛の極端な有限性に起因するといえます。それは、私たちが他者に与える愛の有限性であり、また何よりも他者から与えられる愛の有限性です。

 恋愛感情の儚さはその最たるものでしょう。「女心と秋の空」と言いますが、女性だけではありません。

女性ももちろん男性も、日々刻々と恋する気持ちは揺れ動き、ちょっとしたことで脆くも崩れ去ります。

 恋愛感情ばかりではありません。友情も同じです。どんなに仲の良い親友同士でも、環境が変わってとたんに疎遠になることは珍しくありません。それどころか、「昨日の友は今日の敵」とばかりに、一瞬にして険悪な関係に陥ることもままあります。

 家族愛はどうでしょう。愛情はあっても、それが屈折し、変質し、強烈な憎悪に変わることもしばしばです。愛が憎しみに変わり、殺し合いになることもあります。

 私たちが願ってやまない愛し愛される理想的な関係が長く続くことは、残念ながらあまりないようです。

 世界は、無常です。その無常な世界でも最も変わりやすいのが人間の心であり、心の中でも最も脆い存在が、愛の感情ではないでしょうか。

 私たちが最も必要としているものは、世界で最も脆く移ろいやすく儚いものなのです。
 何かを愛している人は、自己中心的です。
 
またしばしば独善的です。そこには、常にナルシシズムが漂っているのです。

 そして、排他的です。愛の対象を独占しなければ気がすまないのです。

さらに、愛の対象は選択的です。つまり、条件付きなのです。何でもかんでも好きになるということはありません。それは、物質に対する愛は典型的です。欲しいものは欲しい、要らないものは要らないのです。
 
プラトンは『饗宴』において、人間の愛の本質を、人間が自らの有限性にも関わらず、真の美しさ、善さを求め、それと合一することを願うこととして描いています。



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2012-12-05(Wed)
 

真我瞑想「在る」愛の光


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本日は、「真我瞑想「在る」愛の光」です。

前回では、「無い」という真実を確認しました。

これからは、「在る」という真実に移ります。

「無い」ということと「在る」ということは、正反対の言葉です。ですから、この二つがともに真実であると言われると、矛盾しているように感じるのが普通だと思います。

しかし、それは実は矛盾しているわけではありません。

「無い」という真実を経由して、「在る」という真実に到達することができるという関係があります。

「在る」ものとして、私は三つの表現を対応させたいと思います。それは、「愛の光」「神の生命」「真我」という三つの表現です。前の二つは、最後の「真我」の具象的表現です。

では、まず「愛の光」から見ていきましょう。

「愛の光」とは、無限の愛です。

それは、有限の愛が「無い」という真実の確認を通路として、認識することができます。有限の愛が「無い」ことをとおして、無限の愛が「在る」ことに気づくことができるのです。

では、これから有限の愛から無限の愛にいたる道程をたどっていきましょう。


次回は「有限の愛」と「無限の愛」についてです。
楽しみにしていてくださいね!

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精神世界を探求しているけれど現実が思うようにいかないという方へ

2012-12-04(Tue)
 

「水」と「空気」と「心」という三つの比喩”心”


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「「水」と「空気」と「心」という三つの比喩”心”」です。

三つ目の比喩は、「心」です。

私たちの心は、自由自在です。

心は、水や空気以上に時空間の制約を受けません。空を飛び、地に潜ることができます。過去や未来に移動することもできます。

また、心の状態は一瞬でさまざまに変わります。ちょっとしたことで明るくなったり暗くなったりしますし、善にも悪にも染まります。

私たちの心の中ではさまざまな思いが、常に生まれては消えています。そうした心の奥に魂と呼ぶべき心の本体があります。それは、まさに「色即是空」の世界です。

この世の中で、常に留まっているものはただの一つもありません。仏教ではそれを無常と言います。 先ほどのアナクシメネスと重なる時代を生きた古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスも、「同じ河に二度入ることはできない」と万物流転の思想を展開しています。

すべては常に変化しているのです。止まっているように見えても、少しずつ変化しています。存在するものは、消えてつつあるのです。

その一方で、厳然として存在して続けているものがあります。
それが、本当の自分、真我です。


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精神世界を探求しているけれど現実が思うようにいかないという方へ

2012-12-03(Mon)
 

「水」と「空気」と「心」という三つの比喩”空気”


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「「水」と「空気」と「心」という三つの比喩”空気”」です。

二つ目の比喩は「空気」です。

タレスと同じく古代ギリシアの哲学者、アナクシメネスは、世界の根源を空気であると考えました。

 死者は呼吸しませんから、生命の根源は息であると考え、そこから類比的に、世界の根源は風を運ぶ空気であると考えたのです。

空気は水よりもさらに自由自在なあり方をしています。空気は水のように常に低きに流れることもありません。

というよりも、空気はどんな所にもすでにあります。 机やタンスのの引き出しを開けても、その中にすでに空気が入っています。いたる所に空気が存在していて、その空気によって私たちは生命を維持しています。

水のようにどんな場所に移動させてもその場所に合うというよりも、最初からそれぞれの場所に合った状態で、あらゆる場所に存在しているのが空気です。

さまざまな形でいたるところに存在する空気は、「色即是空」を理解するのに手がかりになるイメージを提供してくれます。

明日は「心」についてお伝えいたします。
楽しみにしていてください!


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2012-12-02(Sun)
 

「水」と「空気」と「心」という三つの比喩”水”


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本日は、「「水」と「空気」と「心」という三つの比喩”水”」です。

それは「水」と「空気」と「心」という三つの比喩です。

一つ目は「水」です。

古代ギリシアにおいて記録に残る最古の哲学者と言われるタレスは万物の根源は水であると言いました。すべては水から生成すると考えたのです。

おそらくタレスは水の性質からそう考えたのでしょう。

 水は、どんな容器に注いでもその形に合います。 丸い物に入れれば丸くなりますし、四角の物に入れたら四角になります。三角の物に入れれば当然三角になります。

水は、川になり、海になり、蒸気になり、雲になり、雨や雪になります。

水は、土の中に浸み込み、生物の体内に浸み込みます。水は生命にとって必要不可欠な構成要素です。
水は太古から、様々に形を変えながらも存在し、生命を支え続けています。それ自体は生成することも消滅することもありません。

水は、固体・液体・気体という三つの形をとり、様々なものと交じり合っています。しかし、どの形を取り、何と交じり合っていても、水は水です。H2Oという化学式で表現されるその存在が変わることはありません。

この水のあり方に、さまざまな形(=色)をとってもそれは幻想で、ただ一つの実体(=空)があるのみであるという「色即是空」をなぞらえることができると感じたのです。

明日は「空気」についてです。
楽しみにしていてくださいね!


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2012-12-01(Sat)
 
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