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聖人釈迦 神話から脱出した人


精神世界を探求しているけれど
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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「聖人釈迦 神話から脱出した人」です。

古代にこの大きな神話に気づき、それを破壊することに努めた一人の聖人がいます。釈迦です。

 釈迦は、人間の苦悩を直視しました。彼は人間誰しもが抱える四つの苦悩として、生きること、老いること、病気になること、そして、死ぬことを挙げました。

死という苦悩の直視により、神話から脱出した人です。その神話からの脱出が、彼の心の探求の出発点でした。

釈迦は、人生の永続という神話を破壊することから出発して、死という、人間にとって根本的な苦から自分を解放することに成功したのです。そして、その方法を多くの人々に説いて回りました。

ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは、死を忘却した状態を、頽落と呼びました。そして、それは人間の本来のあり方ではないと述べました。

死に対する苦悩は、自己の存在の有限性に対する絶望の苦悩です。

釈迦はすでに挙げた生老病死の四つの苦に、さらに四つの苦を加えて八苦としました。加えられた四つの苦はそれぞれ、愛する人と別れる苦しみ、憎む人と出会う苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、そして物質的条件や精神作用に起因するもろもろの苦しみです。


 般若心経に「色即是空、空即是色」という言葉があります。この世のすべて、そして宇宙にあるすべてのものは、無いということです。形あるものは無い。

私たちは形あるものを目にすることができます。しかし、私たちがあると思っている形をともなった様々なものは、存在しないのです。

私たちを含めた全てのものは、本当は生まれることも死ぬこともありません。

物理学は、世界を形作る構成要素として、素粒子を発見してきました。わずかな種類の素粒子の組み合わせとして、世界のあらゆる存在が説明できるということです。

この大宇宙の中で無限に多様な現れかたをしている様々なものも、素粒子という共通の材料で出来るということになります。人間も他の動物も植物も鉱物も素粒子です。

形ではなく、素材のほうに目を向けるとき、宇宙の基盤とでも呼ぶべきものに思い至ります。そして、それが実体です。

そして、その実体は生まれることも死ぬこともありません。汚れることも清まることもありません。
形あるもの、分離したものは存在しません。

 私は、般若心経の「色即是空」を、三つの比喩によって説明することを、ある時ふと思いつきました。
 それは「水」と「空気」と「心」という三つの比喩です。


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2012-11-30(Fri)
 

真我瞑想「無い」~2つの先入観「集団的先入観」


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「無い」~2つの先入観「集団的先入観」」です。

集団的先入観は、集団の文化に由来する先入見です。ベーコンの種族のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラはすべて、この集団的先入見の一部であるといえます。

 こうした個人的・集団的先入見は、何かに裏切られる経験をきっかけにしてしばしば露になります。

例えば、十数年前のバブル期に上昇し続けると信じられてきた地価は、バブルの崩壊とともに無残なまでに下落しました。いわゆる土地神話の崩壊です。

ここでの神話は、私たちの先入見に基づいた物語と言いかえることができます。

 土地神話の他にも私たちは多種多様の神話を持っています。

学生時代、学校の試験に出た数学の問題が完璧に解けたと思っても、あなたの解答は実はまったくの間違いだったという経験はないでしょうか。

 知り合いだと思って声を掛けたら、人違いだったことはありませんか。

 ちょっとした物が、収納したはずのところから消えていて、思いもよらないところから出てきたことはありますか。

信頼していた友人に約束を破られたことはありますか。

仕事で窮地に立たされたとき、同僚が誰も助けてくれなかったことはあるでしょうか。

 これらは、すべて、当てにしていた人や物に裏切られた経験です。私たちは、小さなことから大きなことまで、さまざまな裏切りを日々経験しています。

 裏切られるという経験は、神話が崩壊する経験とも言い換えられます。神話を覆す事実が、神話を粉々に破壊するのです。

 神話の破壊は、一時的に私たちに苦痛と喪失感をもたらします。しかし、それによって、私たちは真実に近づくことができます。

 友人に裏切られれば、ショックを受けるのは当然です。しかし、その結果として友人をより全体的に捉えることができるようになります。

 事実の力が私たちを解放し、真実へと向かわせてくれるのです。

 私たちが抱いている神話の中で、最も大きな神話の一つは、自分の人生がいつまでも続くという神話です。
もちろん、私たちは自分がいつか死ぬということを自覚しています。

 しかし、日常生活の中で、自分自身にも必ず訪れる死のことを忘れてしまいます。無意識に明日も続く人生を当てにして生活しているのです。

 古代にこの大きな神話に気づき、それを破壊することに努めた一人の聖人がいます。

明日に続く・・・


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2012-11-29(Thu)
 

真我瞑想「無い」~2つの先入観「社会的先入観」


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「無い」~2つの先入観「社会的先入観」」です。

二つ目の社会的先入観においては、この世界の相対性、世界の「無い」という事態はさらに際立ちます。

社会的先入見は、さらに二種類に分かれます。個人的先入見と集団的先入見です。

個人的先入見は、個人の行動様式や思考様式を含む広義の習慣に由来する先入見です。ベーコンの洞窟のイドラはこの個人的先入見の一部といえます。

個人的先入見は、育った家庭環境や周囲の身近な人との間での出来事の影響を大きく受けて形成されます。

特に両親との関係は重要です。幼少期に両親とどのような関係を持ち、両親に対してどのような印象を形成したかで、その後の対人関係における先入見が規定されてしまいます。

幼い頃に父親に虐待を受ければ、その後の人生において年上の男性に恐怖心を抱くことになるでしょうし、母親に溺愛されれば、周囲の女性に対して過度に依存的な性格になるかもしれません。


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2012-11-28(Wed)
 

真我瞑想「無い」~2つの先入観「物理的先入観」


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「2つの先入観」です。

私たちは、先入観を大きく分けて二種類挙げたいと思います。一つ目は物理的先入観、二つ目は社会的先入観です。

 物理的先入観は、私たちの感覚器官に由来する先入観です。

たとえば冒頭のグラスの例は、視覚についての物理的先入見を示したものと言えます。

一つのグラスを顕微鏡で見たとき、グラスが肉眼で見たときとは全く異なる姿であらわれるように、視覚はもちろん、聴覚、嗅覚、触覚、味覚などの感覚によって捉えられた世界の像はすべて、相対的なものにすぎないのです。

ドイツの哲学者カントは、私たち人間にとっての世界の在り方を決めているのは、人間の認識形式であるという基本的理解のもと自らの哲学を展開しました。

カントは、その人間の認識形式の根幹に、時間と空間に関するそれを位置づけました。時間と空間の存在も認識する人間の側に引き寄せて考えられたわけです。

十八世紀のカントから下って、二十世紀の相対論や量子論の出現により物理的世界に対する世界観が革新されました。それにより、物理的世界の相対性がさらに露になりました。

少なくとも私たちが素朴に前提にしているように堅固な仕方では世界は存在しないということです。
その意味で、世界は「無い」のです。


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2012-11-27(Tue)
 

真我瞑想「無い」~続き


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本日は、「真我瞑想「無い」~続き」です。

例えば、最も高度で繊細な世界認識のひとつと考えられる他人の認識(心理学ではこれを対人認知と呼びます)においても、同じことが言えます。

周囲に気に入らない人や好きになれない人がいる場合、その人の嫌な感じというのは、私たちがその人に対して勝手に付け加えているものにすぎないのです。

対人認知の分野で、次のような実験がよく行われます。

被験者に、初対面の人に会わせてその人の印象を評価させるという実験です。

ただし、被験者をグループにわけ、グループごとに会わせる人についての事前情報を変えるのです。

つまり「これから会う人は○○な人だ」というメモの、○○の部分を様々に変えて、会ったときの印象に対する事前情報の影響を測定するわけです。

多くの実験において、事前情報が印象に大きな影響を及ぼすという結果が出ています。事前に「いい人だ」という情報を得ていると良い印象を、「嫌な人だ」という情報を得ている場合、悪い印象を抱くのです。

このように物体の形状の認識のような基礎的なレヴェルから、他人の印象の認識のような高度なレヴェルまで、私たちにとっての世界は、心の現われにすぎないのです。

 イギリスの哲学者F・ベーコンは、私たちの心の状態が世界像に反映する事態を、世界の正しい認識を妨げる四種類の先入見(=イドラ)を挙げることによって描き出しました。

 ベーコンが掲げた四種類の先入見(=イドラ)は、それぞれ種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラです。


種族のイドラは種族に共通の先入見です。ここで種族という言葉によって念頭に置かれているのは、人類という種族です。このイドラは、人類が自らの種族の特徴を他の種族や、無生物や超自然的存在などに勝手に当てはめてしまうことによって生じます。いわば世界全体を擬人的に把握してしまう原因が、このイドラです。

洞窟のイドラは個人に特有の先入見です。国家や地域社会はもちろん企業等社会団体の慣習などにはそれぞれ特有の広義の文化があります。こうした自分が所属する団体の文化や自分の好みや流儀を他に当てはめることによって生じるのが、このイドラです。洞窟のイドラが独善や差別の原因になります。

市場のイドラは人々の間での言葉の誤用によって生じる先入見です。噂やゴッシプを信じ込むことによって生じる偏見がこれです。

劇場のイドラは権威の濫用から生じる先入見です。偉い人が言っていることを真実だと思ってしまう。あるいは、テレビショッピングで有名人が薦める商品を良い物だと信じ込んでしまう。これらは、すべて劇場のイドラの仕業です。

 ベーコンはこれら四つのイドラを取り除くことで真理に辿りつけると考えました。では、私たちもベーコンに倣って、先入見を取り除いていくことにより、本項において私たちが目指す「無い」という真実に向かいましょう。


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2012-11-26(Mon)
 

真我瞑想「無い」


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想「無い」」です。

あなたの視界には何が見えますか。
自宅の室内であれば家具や壁が見えるでしょうし、
オフィスであればデスクや電気スタンドなどが見えるでしょう。

あなたは今、周囲から何を感じていますか。
そこは明るいですか。
それとも暗いですか。
暑いですか、寒いですか。
どのような音が聞こえますか。
どのような香りがしますか。

あなたが五官を通して感じる世界は、実はすべて幻だと言ったらどうでしょうか。
ほとんどの人が多かれ少なかれ、不安を感じることと思います。

でも、世界は幻、それが事実です。
たとえば、あなたの目の前に一つのグラスがあるとします。そのグラスは実は幻です。

 そのグラスを一千万倍の電子顕微鏡で拡大して見たとき、そこに見えるのは一面に並ぶ原子です。仮にさらにその一万倍の倍率の顕微鏡で見たとすれば、原子核を中心に広大な空間が広がっているのが見えるはずです。

さらに、その一万倍、その一万倍と倍率を上げていくと、最終的には何も見えなくなってしまいます。ただ空間が広がっている。

 こうして考えると、一つのグラスが存在するということが甚だ心許ないことのように思えてきます。
 実際にあなたの目に見えている世界とは、さまざまな外的・内的な条件によって現れている形、つまり現象にすぎないのです。

このことを、イギリスの哲学者バークリーは「存在するとは、認識されているということである」と言い、ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、「世界とは、私の表象である」と表現しています。仏教では、三界唯心と言います。

もし仮に、五感がなければ、私たちは物質的な世界を捉えることができません。

逆に言えば、私たちにとって物質的な世界は、五感によって初めてそれとして現れるものなのです。
この私たちの認識能力が世界を成立させるという関係は、五感のレヴェルに限らず、あらゆる世界認識について当てはまります。

明日は、例を挙げて説明いたします。


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2012-11-25(Sun)
 

真我瞑想により認識される真実とは


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想により認識される真実とは」です。

では、真我瞑想により認識される真実とは、得られる悟りとは、どのようなものなのでしょうか。
 その内容は、大きく分けて二つです。
 一つ目は、「無い」という真実、二つ目は、「在る」という真実です。
 二つの真実を認識することが、座って行う真我瞑想の目的であり、続く行動実践の基礎になります。
 ここでの真実の認識は、観念的な理解にとどまるものではありません。それは、その真実がまさに腑に落ちたという状態を示しています。真実を、単に話として理解するのではなく、それを「本当にそうだなあ」と納得し、実感するところまで到達してはじめて、真実を認識したと言えるのです。
 古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスは、「博識は分別を教えない」という言葉を残しています。どれほど知識を得ても、ものの道理が分かるようにならないということです。
 私は、これを知識と意識の違いとしてとらえています。
 知識と意識は違います。知識は情報であり、意識は情報を解釈する視点です。情報を蓄えても、その情報を眺める視点は変わりません。知識を増やすことと、意識のレヴェルを上げることはまったく異質なことなのです。
 真実を認識する条件は、ある一定の知識を身につけることではなく、意識レヴェルを上げることです。
 意識

知識はインプットによって蓄積されます。
意識はアウトプットをとおして変容します。
 では、これら三つの真実を、それぞれ詳細に見ていきましょう。


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2012-11-24(Sat)
 

 真実の認識に続く二つ目の柱、行動の実践


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真実の認識に続く二つ目の柱、行動の実践」です。

真実の認識に続く二つ目の柱、行動の実践は、まさに日常生活そのものです。中国の儒学者、王陽明が知行合一と言い、あるいは曹洞宗の開祖、道元が修証一如と述べましたように、真実の認識と行動の実践が、車の両輪のように伴ってこそ、真の幸福が得られます。

 それは、真実の認識とそれに基づく行動の実践が、相互に補完しあう関係にあるからです。つまり、真実の認識が照準の合った行動に結びつき、また逆に積極的な行動を継続することで、一度は得たはずでも、いつのまにかズレていた認識が修正されます。

 先ほど、真実の認識は一瞬で果たされると述べました。頓悟です。しかし、行動の領域は、一瞬というわけにはいきません。認識と行動は違うのです。

 認識は物質の世界から意識の世界へと進むプロセスです。意識の世界に入ったとき、そこには時空間の束縛がありません。ですから、認識の内容は一瞬で変わるのです。

 逆に、行動は意識の世界から物質の世界へと進みます。物質の世界には、当然時空間の束縛があります。
 ですから、認識が変化

四次元
三次元

 このように真実の認識と行動の実践を往復する中で、らせん状に成長していくことができます。


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2012-11-23(Fri)
 

「認識の5段階」第4、5段階


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こんにちは、佐藤康行です。

先日は、「認識の5つの段階」の第1~3段階を
お伝えいたしました。


本日は、「真我瞑想 【理論編】 真実の認識と行動 認識の五つの段階」の
第4~5段階です。


第四の段階は「無い」という段階です。

ここまでの三段階は現象の認識でした。様々なかたちで私たちに現れているものを認識しているわけです。
しかし、この第四段階では、現象が無いという真実を体感し、体得する段階です。通常の私たちの認識は何らかの現象の認識です。ですから、この無いという真実の認識は、一般的な意味での認識を超えた認識ということになります。

 第五の段階は「在る」という段階です。この段階では、無いという認識をさらに超えて、ただ真我のみが存在するという段階です。

 以上の五段階のうち、「無い」という第四段階へ進み、さらに「在る」という第五段階にまで至ることが、真我瞑想の一つ目の柱、真実の認識に他なりません。つまり、真実の認識は、真我の認識にほかなりません。

 ここで確認しておきたいのは、私は真実の認識を五段階に分けましたが、最終段階の「在る」ということを認識するためには、第一段階から時間をかけて順を追って進んでいかなければならないわけではありません。

 最終段階の「在る」という真実を認識するのに段階を経る必要も、時間をかける必要もありません。

 究極の真理を認識するのに、時間はかかりません。一瞬です。

 仏教において、頓悟・漸悟という区別があります。頓悟とは、「悟りに高下あるを認めず、修行の段階を経ず、直ちに悟りに到ること」であり、漸悟とは、「順序を踏んで修行し、漸次に高次の境位に進んで悟りに入ること」です(中村元他編『仏教事典』岩波書店、一九八九年)。

 私は、この区別においては、頓悟の立場にあります。悟りに時間はかからない。というのは、私はそのことを、自分自身の身で体験し、また数万人もの人が一瞬で真理に目覚める瞬間を目の当たりにしてきたからです。



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2012-11-22(Thu)
 

真我瞑想「認識の5つの段階」


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こんにちは、佐藤康行です。

本日は、「真我瞑想 【理論編】 真実の認識と行動 認識の五つの段階」です。

 第一の段階は「知る」という段階です。

 この段階には、一般に知識と呼ばれるものが対応しています。
自然科学における認識が、その典型です。現象を測定して得られたデータを解析して、そこから一定の認識を構築します。

このように自然科学者や専門家が所定の手続きを踏んで獲得し、学校教育等で伝達されるのが、「知る」段階の認識です。

「知る」という認識には、長所と短所があります。長所は誠実であるということです。自分が分かっていないことは認めないからです。短所は、分からないことに対して無力であるということです。分かる範囲にしか目を向けず、視野が制限されています。

認識における第二の段階は「信じる」という段階です。

 信じるものは救われるという言葉がありますが、宗教における信仰はこれに当たります。人間関係における信頼もそうです。

「信じる」段階にも、長所と短所があります。長所は早いということ、短所は全くの虚偽、間違いを真実であると認識してしまう危険性が高いということです。宗教的カルト集団に入って、指導者の指示で重大な罪を犯す人々も存在します。

 第三の段階は「見える」という段階です。この段階では、「知る」段階のように分析などによる内容の構成を経ずに、直接的に認識します。つまり物事を直観します。また、この段階では明らかな誤りを真実と捉える可能性はありません。

「見える」という段階には、三つの種類があります。一つめは肉眼、二つめは心の眼、心眼、三つめは真実を見抜く眼、真眼です。

 肉眼は、物理的な世界を捉えます。
 心眼は、他人の心を読み取る眼です。自分の心によって他人の心を見るのです。
 真眼は、真実を見る眼です。それは、自分の内にある本当の自分、真我によって、真実を捉えるということです。この真眼は、認識の最終段階、第五段階「在る」において本当の意味で完成します。

明日は、「認識の5つの段階」第4の段階、第5の段階についてお伝えいたします。


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2012-11-21(Wed)
 

真我瞑想とは?


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本日は、「真我瞑想 【理論編】 真実の認識と行動 真我瞑想とは?」です。


真我瞑想とは、筆者が発案し、実践、検証してきた瞑想です。検証の結果、真我瞑想は、より豊かで幸福な人生を送るために非常に有効な助けになることが分かりました。

 真我瞑想という名前の由来は、この瞑想が、内なる神としての本当の自分、すなわち真我に目覚め、それを体現することを通じて、究極の幸福を実現するということにあります。

 そもそも瞑想とはなんでしょうか。瞑想と聞くと、袈裟を着たインドの修行僧が両足を組んで座り、静かに目を閉じている、そのようなイメージを思い浮かべる方が多いと思います。

もちろん、それも瞑想なのですが、私はもっと広く瞑想を捉えております。私の考える瞑想とは、世界の真実の認識であり、その認識に基づく行動の実践です。

 その意味で、瞑想は、真実の認識と行動の実践という二つの柱から成り立っているといえます。

 一つ目の柱、真実の認識は、主に座って行う瞑想をとおして得ます。形式的には、多くの人が想像するいわゆる瞑想と同じです。ただし、真我瞑想には特徴があります。これを時や場所を選ばず短時間で行うことが可能であるということです。

 真実の認識とはいわゆる悟りです。真我瞑想は短時間に悟ることができる瞑想法として画期的なものです。
 ここで真実の認識というとき、その意味するところは、いわゆる認識とは少し異なります。それは、小説中の名探偵が、犯人の様々なトリックを見破って真相を解明するというような意味での認識に留まるものではありません。
 私は、認識には五つの段階があると考えています。

明日は、認識の五つの段階についてお伝えいたします。



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2012-11-20(Tue)
 

真我瞑想のやりかた~4つの段階(第3、4段階)


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こんにちは、佐藤康行です。


本日は、「真我瞑想のやりかた~4つの段階(第3、4段階)」です。

さらに、第三段階では、「無い」という言葉を心の中で、唱えます。心や物質という私たちに現れる様々なものは、実際には存在しないということ、つまり、それらは一つの視点から眺めたときの物語にすぎないということを、「無い」という言葉は示しています。これも十分間ほど行います。

何か雑念が浮かんで来たら、「無い」と心の中で言います。これは、「無い」という言葉によって雑念を消すというよりも、ただ「無い」と言うだけです。無のイメージを思い浮かべる必要もありません。私たちの周りの現象に実体は「無い」という事実を述べるのです。

何度も、心の中で「無い」と言い続けます。雑念の多い方は、「無い」と唱えるスピードを上げます。

 しばらくそれを続けた後、今度は体全体を、心の目で一度に眺めて「無い」と言います。体全体を見て、「無い」と唱える。何度もやっていると、体の輪郭が消えてなくなるような感じになる方もいるでしょう。そうならなくても、気にする必要はまったくありません。

 そして、最後の第四段階では、「無い」の後に言葉を続けます。

「無い」に続ける言葉は三種類あります。三種類のうちいずれか一つを唱えます。

 三種類の言葉とは、「愛の光」「神の生命」「真我」の三つです。

「無い」に続ける言葉の一つ目は、「愛の光」です。心の中で「無い」と唱えた後、すかさず「愛の光」と続けます。「無い」「愛の光」、「無い」「愛の光」とひたすら繰り返します。

「愛の光」は、情愛を超越した神や仏の愛、宇宙の愛を表現しています。それは、無という事実の先にある、存在の世界です。現象に実体は無く、ただ神仏の愛があるということです。

 これを、十五分間から二十分間行います。

「無い」に続ける言葉の二つ目は、「神の生命(いのち)」です。「愛の光」の場合と同様、「無い」「神の生命」という具合に唱えます。

「神の生命」は、「愛の光」としての神仏の愛を別の角度からとらえた言葉です。真の実在としての神仏の愛は、私たちの存在を支える宇宙の生命、神の生命そのものです。こちらも、十五分間から二十分間行います。

 この第四段階では、そのときの気分に合わせて、「愛の光」もしくは「神の生命」、いずれかの言葉を選んで、瞑想を行います。ただし、一度どちらにするかを選んだのち、瞑想中に唱える言葉を変更することはおすすめしません。

以上が「真我瞑想」の方法です。


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2012-11-19(Mon)
 

真我瞑想 【理論編】 真実の認識と行動 真我瞑想の目的と仕組み


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本日は、「真我瞑想 【理論編】 真実の認識行動 真我瞑想の目的と仕組み」です。

 第一部真我瞑想【理論編】では、真我瞑想の目的と仕組みを解説します。
アメリカの心理学者で、カウンセリングの父と言われるカール・ロジャーズは、本当の自分に出会うことが、すべての人の根本的な欲求であると考えました。

ロジャーズは次のように述べています。

「心の底では、各人はこう問いかけている。『本当のところ、私は誰なのだろう。どういうふうに私は、あらゆる表面的な振舞いの背後に横たわる、この本当の自分に接触することができるのだろうか。どのように私自身になることができるのだろうか』と。」

つまり、「個人が達成したいと望む目標、個人が自覚的に、そして無自覚的に追求する目的は、その人自身になることである」(Carl Rogers, On Becoming a Person, London : Constable & Robinson, 2004, 1st.ed. 1967, p.108)とロジャーズは考えます。

ロジャーズは、生涯にわたって心理療法に従事するなかで、膨大な人数の相談者と面談をしました。その中で、受容と共感と傾聴を柱とするカウンセリングの基礎を築きました。

私も、この「人間の目標は自分自身になること」というロジャーズの考えに全面的に賛成します。「自分自身になる」とは、本当の自分に出会い、本当の自分で生きること言い換えることができると思います。

本書で解説する真我瞑想は、まさに本当の自分で生きるための効果的なツールです。真我瞑想の目的は、本当の自分で生きることなのです。



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2012-11-19(Mon)
 
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